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継続が苦手

『学び合い』って超個別最適化

『学び合い』は、助け合う、教え合う授業として見られます。

 

間違ってはいませんが。

 

さらに、みんなが立ち歩いてわちゃわちゃ動いているのが『学び合い』と思われることも多いです。立ち歩いてたら『学び合い』。

 

間違ってはいませんが。

 

この部分については説明が難しいです。自分の中でも整理がついていない部分です。

 

今のところの自分の整理は次のような感じです。

 

『学び合い』は超個別最適化で必要な時には相談をする授業。

何か足りないような気もしますが。

 

一番言いたいことは、教えあっていたら『学び合い』でもないし、立ち歩いていたら『学び合い』でもないということです。

 

教えあうことも生まれるし、立ち歩くことも許されているというだけです。

 

そして、知識技能を身につける授業については究極に超個別最適化の課題を目指すことをできるのが『学び合い』です。そこが、一番魅力的な部分かもしれません。

 

今までの授業では、超個別最適化は難しいです。

 

対話を生ませるために作った課題であれば、『学び合い』だろうとなかろうと、対話で盛り上がることは生まれます。しかも、課題がグループで話合うことを前提としているなら、4人グループで固定しても何も問題ありません。

 

『学び合い』では、グループを固定はしません。それは、課題がグループを固定することを前提としていない場合です。課題解決するために4人が一番いいとは教師側には決めれません。

 

授業の流れや、集団の人数を考えて4人グループが効果的ならそれが一番いいと思います。でも、それは『学び合い』かどうかにはまったく関係ないと思います。

 

でも、もくもくと知識技能を身につける課題の場面でも対話が生まれる可能性があるのが『学び合い』ではないかと思います。

 

そして、授業レベル以外にも通じるのが『学び合い』です。地域コミュニティ、学校同士、県レベル。そのレベルになると、超個別最適化で物事が進んでいき、必要な時に必要な人と対話が必要になります。

 

『学び合い』は、より社会生活に目を向けているのだと思います。授業レベルに近づけば近づくほど、テクニックが必要になるということでしょう。

 

自分のための整理です。