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継続が苦手

研究授業 意味あるけど意味ない

最近、学校で研究授業がありました。素敵な授業でした。子ども達の気持ちを受け止めた学級経営、わかりやすい教材。

 

同僚の先生たちの感想を聞くと、、。

 

「わかりやすい教材だった。真似したい。」「こんな教材にしたほうがよかった。」という意見が多かったです。

 

授業をした先生は素敵な先生。私も大好きです。だけど、ひっかかるのは、9月まで一度もそのようなわかりすい教材を使った授業はなかったということです。

 

確かに教材は素晴らしかったです。

 

でも、

 

①続けることが難しい

②「全員」にわかりやすかったのか

③それらのことに気づくはずなのに、そのことについての意見がでないこと

 

が気になります。

 

①について

単純に現場では時間がありません。わかりやすい教材を準備する時間があったら、世の中の先生はどんどん作ると思います。今は、わかりやすい教材の作成の優先事項は下がってきているのではないでしょうか。書類制作に追われているのが現実です。先輩達の授業スキルや教材知識は素晴らしいものがあります。でも、それを学ぶ時間は正直ありません。

 

②について

先生目線で見ると、わかりすい教材です。でも、子ども達から見た時はどうでしょうか。8割の子ども達にとって効果的だったかもしれませんが、残りの2割にはなんのことかさっぱり分からない状態の可能性もあります。

45分をきれいに流すための課題や流れについて話すよりも、学力低位の子達に少しでも有意義な時間をつくるためにはどんな授業がいいのかを話すべきだと思うのですが。

 

③について

①や②のことは先生方はみんなわかっているはずです。ベテランであればあるほど気づいているはずです。そこをどうやったらクリアできるかという話題にならないのが問題です。最後は必ず、、、肝心なところには触れず、、、なんとなく現状維持で今までどおりがんばりましょう、、で研修が終わりました。

 

45分で完結する授業の研究は、そろそろ意味がなくなってきているのではないでしょうか。


研究授業をやるために先生たちが相談をしたり、教材作りすること自体には意味はあります。


でも、一年の仕事量を考えると、意味はないように見えてきます。

 

もうすこし整理したいです。

 

もちろんそんな課題を解決するためには『学び合い』しかないと思っていますが。